「氣」を感じられなくなった時代に、身体から文明を見直すということ

「氣」を感じられなくなった時代に、身体から文明を見直すということ
気
最近、「このコトバ、どこかおかしくないか?」
そう感じる瞬間が増えました。
- ニュースを見ているとき
- 理由のはっきりしない体調不良をコトバにしようとしたとき
- 人と人との間に、説明できない距離を感じたとき
その違和感の奥に、いつも同じコトバがありました。
「気」です。
私たちは当たり前のように、
- 気分
- 気力
- 気配
- 気をつける
- 気を遣う
- 気を配る
と使っています。
けれど、そのコトバが本来持っていたはずの感触は、いつの間にか薄れてしまったようにも感じられます。
かつて、このコトバは「氣」と書かれていました。
表記が変わっただけなのか? それとも、感じ方そのものが変わってしまったのか?
ここ数年、理由のわからない不調や不安、社会の分断や息苦しさを感じている人は少なくありません。
それらは、努力不足や気持ちの問題だけでは説明できないものだと、私は感じてきました。
むしろ、身体の感覚が置き去りにされたまま、社会や文明だけが先へ進んでしまった結果、私たちの内側に現れているサインなのではないか?
noteで連載しています
そんな違和感から始まり、noteで「氣×米」という連載を書いてきました。
テーマ
扱ってきたのは、次のようなテーマです。
- 「氣」は説明するものではなく、思い出される感覚であること
- 身体・ココロ・氣は上下関係ではなく、循環の関係にあること
- 米は栄養ではなく、身体性と共同体をつなぐ媒体だったこと
- コトバが変わることで、意識と感覚も静かに変わっていくこと
- 日本人は主張する民族ではなく、場を整えてきた民族であること
どれも答えを出すための話ではありません。
むしろ、身体を通して、もう一度確かめ直すための視点です。
Kindle本としてもまとめ中
現在、この連載内容をもとに、一冊のKindle本として原稿をまとめています。
noteでは書ききれなかった背景、図解を交えた整理、そして最後には、「氣」を頭で理解するのではなく、身体で思い出すための、静かなワークも収録する予定です。
この本は、何かを信じさせるためのものでも、正しさを主張するためのものでもありません。
ただ、自分の身体に戻るきっかけになればいい。それだけを願って書いています。
もし今、あなたの身体が、何か小さな違和感を発しているとしたら。
それは、すでに「氣」がそこにあるサインなのかもしれません。
(※Kindle書籍は現在編集中です。完成次第、このブログでもお知らせします。)



